2025年11月25日火曜日

2025年11月12-22日 近所の緑地・里山、自宅周辺

最近のマイブームになっている紅葉・黄葉の撮影
ダンコウバイ


メグスリノキ 何とも上品


トチノキ 迫力満点


クサギ 花も実も主張が強いが黄葉した葉脈も主張が強い


ヌルデ モダンアートのよう


ヤマコウバシ 上から見るとなかなかの色合い


ヤマハゼ 素直に美しい


キブシ 来年の花芽?


イイギリ 葉が淡い黄色に赤い実が映える


ヒヨドリジョウゴの綺麗な赤い実 この秋は見る機会が少なかった


ノブドウ 魅力的


ヘクソカズラ 至る所で見る 一度は撮らないとと思って撮影


エゴノキ 萎びた実もなかなかの味わい


ヤマハッカ 花が散った後に残った萼も魅力的


カナムグラ 地味だが何だか可愛らしい


越冬するイトトンボを2種類
ホソミイトトンボ 林縁にひっそり


ホソミオツネントンボ 階段室の壁面に止まっていた 「オツネントンボ」は漢字で「越年蜻蛉」


11月12日夕方の南西の空 彩雲なのか虹の一部なのか


2025年11月13日木曜日

2025年10月31日-11月8日 近所の緑地・里山、自宅周辺

季節が進み出したと思ったら、あっという間に秋が深まった。

木の種類によって紅葉・黄葉の色合いに変化があってそれぞれ素敵。

キブシ 黄から赤への繊細なグラデーション



アワブキ 個性的な葉脈



メグスリノキ 淡い赤色に変化



ムクノキ 黄色・緑の葉と実が素敵



コナラ 雑木らしい色合い



ヤマグワ 渋い



カツラ 黄色いハートの連なり



エビヅル 鮮やかな紅色



空を背景にしたシルエットは影絵のよう。

ミズキ 葉と実が織りなす模様がリズミカル



クズ ハムシに食われてレースのよう



コマユミの実は和菓子の練り切りのよう



クロガネモチは葉の緑と実の赤が鮮やかな対比



マルバシャリンバイの実は深い色合い



ノブドウは洒落たフォルム



秋を彩る花々も豪華

リンドウ



ツクバトリカブト



イシミカワの実は鮮やかな色に変化



栽培されたシイタケは立派に成長



ヒメアカタテハ コスモスで給蜜



キタテハ 秋型の赤みは強い



イナゴのオンブは秋らしい



2025年11月7日金曜日

2025年10月28-30日 犬山・名古屋旅行

この秋は色々と行事が立てこんでいたこともあって秋の旅行先がなかなか決まらなかったが、最終的に目的地を犬山、名古屋方面として天候の様子を見ながら日程を決めた。

10月28日 犬山城、有楽苑 快晴
新横浜7:39発の新幹線で名古屋に行き、名鉄に乗り換えて犬山に到着したのは9:50頃。こんなに短時間でここまで来られるのに、何故リニア新幹線が更に必要なのか理解に苦しむ。
駅前のホテルに荷物を預けて犬山城に向かう。正面に城を望みながら保存された本町通りを北に進む。城は神社から登る。この神社は江戸期までは白山社と称され犬山城の守護神であったとのこと。境内では数種類の絵馬が売られていたが、その中に神桃絵馬という桃が描かれた絵馬があった。


日本神話によれば、黄泉国で魔物を追い払った桃がイザナギに神名を与えられ、桃が魔除けのシンボルとなり、魔除けの神や子供の守り神として信仰を集めるようになったとのこと。
天守は比較的こじんまりとしている。油断すれば後ろに倒れそうになるような急で狭い階段(梯子)を最上階まで登ると、木曽川を眼下に見下ろす素晴らしい眺望。岐阜方面(西方向)には特徴的な円錐型の伊木山がありその右側遠くには岐阜城のある金華山も見える。


大層な賑わいの城内を後に東側にある有楽苑に向かう。天気が良いせいかウラギンシジミがよく目につく。


有楽苑は織田有楽斎ゆかりの庭園で京都から移築された如庵(国宝)と旧正伝院書院(重文)で有名。


苑内の茶花園には野菊が美しい。ユウガギクだろうか。


如庵の周りにはスギゴケが美しい。


有楽苑を後にして木曽川の川べりに出た。ここから見上げる犬山城は高度感があって素晴らしい。


木曽川に沿って少し歩いて犬山遊園駅から一駅だけ電車に乗って犬山に戻った。

10月29日 明治村 快晴
今日は丸一日かけて明治村を巡ることにしている。犬山駅前9:20発のバスで明治村に向かう。本数が少ないせいかバスは満員。20分ほどで到着して早速見学開始。紅葉が始まった園内(村内)はよく手入れされていて気持ちよく歩ける。
建物は全て移築されたもので何れも素晴らしいが、数が多すぎるので重要文化財を中心に書く。聖ヨハネ教会堂は京都市下京区から移築されたもの。建設されたのは明治40年(1907年)。


西郷従道邸は東京都目黒区に明治13年(1880年)に建設された。接客用ということで建物は勿論のこと内装もたいへん豪華。


三重県庁舎は明治12年(1879年)の建設。明治期の各県の県庁舎がいかに立派だったのかと思わせるような豪奢な建築。内装も素晴らしい。


東山梨郡役所も行政指揮監督のために明治18年(1885年)に建設され、やはり大変立派な構え。


東松家住宅は明治34年(1901年)に名古屋市に油屋の店舗兼住宅として建設された。土間上部の吹き抜けが印象的。


札幌電話交換局は明治31年(1898年)に建設された石造りの建物。石の装飾が優雅。


芝川又右衛門邸は明治44年(1911年)に兵庫県西宮に大富豪の別荘として建てられた。明治村への移築年2007年と最も新しい。重要文化財ではないが、大富豪が潤沢に資金を投入したことを印象付ける豪華さだ。1階ホールの天井は網代と葦簾が市松状に配され一際目を引く。


西園寺公望邸「坐漁荘」は大正9年(1920年)に静岡県興津に別荘として建てられた大変風格がある建物。


品川燈台は明治3年(1870年)に品川区台場に建設され、菅島燈台付属官舎は明治6年(1873年)に鳥羽市菅島に建設された。両者は入鹿池に突き出た岬に組み合わせて移築されているが、移築された環境が素晴らしいせいか、元から一体であったかのような印象を受ける。


宇治山田郵便局舎は何だかイスラム寺院を思わせるような外観。明治42年(1909年)建設。丸天井がとても素敵。


呉服(くれは)座は明治年(1892年)に大阪府池田市に建てられた芝居小屋で大河ドラマの撮影にも使われたとのこと。


ここでハプニングに見舞われた。十数人が館内で説明を受けることになり薄暗い芝居小屋の一角に集合した。係員から少し後ろに下がるように言われて、一番後ろにいた私は数歩後退した。その際、すぐ後ろの床が下方に10cmほど段になっていことに気付かず、片足が下の段にかかった途端にバランスを失った。反射的に反対側の足で踏ん張るために一歩下がろうとしたが、そこに30cmくらいの高さの柵があってその柵に足を取られ斜め後ろに畳敷き部屋に転倒した。手の痛みと驚きとでしばらく起き上がることができなかった。骨折か捻挫を覚悟したが起き上がってみると、幸いなことに大事には至らずひとまずほっとした。ただし、右手の薬指とその周辺がかなり腫れて内出血した。
何とか気を取り直して残る建物の見学を済ませたられたのは不幸中の幸いだった。

10月30日 熱田神宮、徳川美術館 曇りのち晴れ
犬山駅7:27発の東岡崎行で出発。名古屋で一旦降りてコインロッカーに荷物を入れて再度名鉄に乗り神宮前に到着。熱田神宮に参拝した。歴史ある神社だけあって、鬱蒼と大木が茂る境内は厳かな雰囲気。ご神木の大楠が大迫力。


本宮を一周した後、別宮八幡宮に参拝した。


名古屋に戻りバスで徳川美術館に。美術館には多くの重要文化財を含む素晴らしい収蔵品が展示され、尾張徳川家の威光を改めて実感する。美術館の後は隣接する徳川園を散策した。徳川園は二代藩主の光友が隠居所として造営したことを期限としているとのこと。園内には様々な植物が植栽されている。
ツリバナは多くの実を付け、山野で見かけるものに比べてとても豪華。


池には睡蓮があり花の時期にはさぞ楽しめるだろう。


ハプニングはあったものの、天候に恵まれ予定したスケジュールをこなすことができてなかなか有意義な旅だった。それにしても、多くの歴史的建築物を移築して明治村を整備した名鉄の功績は大きいと思う。