2023年11月22日水曜日

2023年11月14-16日 滋賀県湖東・湖北の旅

以前から気になっていた湖東三山を訪ねる旅を計画していたが、その最中に妻の中学時代の恩師から湖北の向源寺の十一面観音は素晴らしいとの情報を頂いた。これまで湖北はノーマークだったが調べてみると興味深い。そこで湖北も含めた旅を計画した。

11月14日 湖東三山

冬型の気圧配置が緩み始めた快晴の朝、気温は霜が降りるくらいまで下がった。新幹線から雪化粧した富士山、南アルプス、中央アルプス、御岳、乗鞍などの景観を楽しめた。しかし、関ヶ原の辺りから俄かに雲行きが怪しくなり米原では小雨模様になった。予約していたレンタカーで小雨の中を南に向かい30分ほどで最初の目的地である西明寺に到着。幸いも雨は上がった。惣門から長く続く石段は苔むして素晴らしい雰囲気。


階段を登り切って二天門をくぐる。共に国宝の本堂と三重塔が並ぶ。


西明寺から10分ほど南下して次の目的地である金剛輪寺に到着。両側に風車が供えられたお地蔵さんが並ぶ長い石段を登って行くとやっと二天門(重要文化財)が姿を現した。


本堂(国宝)と三重塔(重要文化財)は狭い場所に建てられているため、少し距離を置いて眺めることはできなかった。石段を下り白門の近くで昼食。この秋は気温が高かったためか紅葉はまだ始まったばかり。


更に南に10分ほどで、今日最後の目的地である百済寺に到着。仁王門に向かって石段を登る。このお寺はテレビドラマのロケ地になったことでも有名だ。


帰り際に人懐っこいネコさんとしばし遊んだ。


午後3時前に長浜のホテルに到着。比良山地に沈む夕日で琵琶湖の湖面に光の道が現れた。


11月15日 湖北

長浜から北に向かう。高月町に入ると集落内の道路に設けられた消雪パイプに滋賀県北部は雪国であることを実感する。30分ほどで木之本町赤尾の西徳寺に到着。このお寺には重要文化財の茅葺の本堂がある。拝観を受け容れていないという情報もあったので、山門付近から本堂を眺めているとご住職らしき方が現れ本堂内をご案内頂いた。


この本堂は浄土真宗が東西二派に分かれる前の様式を残していること、西徳寺の沿革やご住職の家柄等について詳しくご説明頂いた。

次に訪ねたのは己高閣・世代閣という文化財収蔵庫。これらは、今は廃寺となってしまった鶏足寺や戸岩寺にあった仏像を収蔵するために建てられた。十一面観音や薬師如来等(何れも重要文化財)について説明を受けながら拝観した。

さて、いよいよ妻の恩師に薦めて頂いた向源寺(渡岸寺)を訪ねた。


収蔵庫に収められた国宝の十一面観音は期待通りの素晴らしい仏像で、格調高い優雅な姿にすっかり感心した。

湖北は、奈良や京都のような豪壮なお寺は一つも無いが、それぞれの小さな集落の素朴なお寺には素晴らしい仏像があることに感銘を受けた。

昼食後、己高閣・世代閣の近所まで戻り、大きな石垣の上に築かれた石道寺というお寺を訪ねる。ここでもこのお寺を守ってきた集落の方が丁寧に説明して下さった。本堂に収められた十一面観音(重要文化財)は、村娘をモデルに作製されたとのことで、口に紅が施されており素朴な雰囲気だ。


最後に今朝がた訪ねた西徳寺近くの赤後寺を訪ねた。このお寺は湖北平野の中に独立して盛り上がる湧出山の山裾に築かれていて、その足下に唐川という集落が広がっている。日吉神社と書かれた鳥居をくぐって境内に入る。神仏習合の雰囲気が色濃く残されている。


このお寺に収蔵されている千手観音は、全ての腕の先が脱落してしまているところが痛々しいが、このお寺を守ってこられた方のご説明では、戦国時代に戦火から守るために地中に埋めたことなどによりそのような姿になったもので、そのようにして守り通してきた証しでありむしろ誇らしいとのこと。説明が終わって外に出ると唐川の集落が夕日を浴びて広がっていた。


11月16日 賤ケ岳、余呉湖

今日は賤ケ岳に行くことにした。昨日訪ねた西徳寺、赤後寺の辺りを更に北に進む。賤ケ岳リフトの乗り場から頂上のすぐ南の稜線まで運んでくれるリフトは思っより長い。頂上に向かって進むと眼下に琵琶湖の眺めが広がる。竹生島も見える。この辺りでは湖面まで山が迫り山の中の湖のような雰囲気だ。


頂上からは足下に余呉湖を見下ろし、その北側の山々の向こうはもう福井県で、いかに北陸に近いかを実感する。


頂上には説明ボランティアの方がいて、賤ケ岳古戦場という名前に反して賤ケ岳周辺では戦があったものの山中では行われず、豊臣秀吉が頂上から観戦していたこと等のお話を伺った。

頂上から湖北の平野を見下ろすと、中央には昨日訪ねた赤後寺の北側背後の湧出山や、それぞれのお寺のある集落や山々が手に取るように眺められた。


昼食後は小谷城址の麓にある資料館を見学後、米原から新幹線で帰途に着いた。静岡の手前から右前方に見える立派な山塊が見えたが、これは伊豆半島であることを知った。

今回の旅で最も心に沁みたのは、湖北の風土や心情だ。奈良や京都の大寺院と違って、それぞれの小さな集落のお寺の仏像は、それぞれの集落の誇りとして集落の人々が多大な努力により引き継がれてきたものだ。これは大変素晴らしいことだ。しかし、高齢化や日本の国力低下(予算不足)により先行きは困難が予想され、このような文化財を守るための国としてのきちんとした方針が求められるように思う。

また、湖北のお寺で地元の方々のお話を伺ってわかったことは、北部の高月や木之本は現在では長浜市に併合されてはいるものの、この地域は浅井氏が地盤としていた領域で住民の心情は親浅井である。これに対して、南部の長浜市街周辺は、浅井氏を滅ぼした豊臣秀吉が城下町として発展させた領域である。このように、長浜市は、親浅井の北部と親豊臣の南部とで構成されており市民のマインドは一様ではない。 

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